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写真とは

写真とは、狭義には、穴やレンズを通して対象を結像させ、物体で反射した光および物体が発した光を感光剤に焼き付けたのち、現像処理をして可視化したもの。
これを、感光剤に焼き付けるまでを行う機器は、基本的にカメラと呼ばれる。
広い意味で、電磁波、粒子線などによって成立する、弁別可能で存続性の高い像。

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英語の”photograph”という語は、イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルが創案した。photo-は「光の」、-graphは「かく(書く、描く)もの」「かかれたもの」という意味で、日本語で「光画」と訳される。”photograph”から、略して”フォト”と呼ぶこともある。
日本語の「写真」という言葉は、中国語の「真を写したもの」からである。
写真の原理として、相反則と相反則不軌がある。
写真の感光量は光の量(単位時間あたりの光の量×光が当たった時間)によって基本的に決まる。
これを相反則(ソウハンソク)という。ただし、感光量は入射した光の量にどこまでも比例するのではない。未露光部はベースフィルム以上淡色にはならないし、感光するハロゲン化銀は限られているから一定以上の光を当ててもそれ以上濃くならない。従って、光の入射量と画像の濃さをグラフにするとシグモイド関数のようになる。変化の中間部は直線的であり、この部分の傾きのことをガンマという。
しかし、露光時間が極端に短かったり長かったりする場合には、相反則が成立しないことがある。これを相反則不軌という。カラーフィルムでは色毎に相反則不軌の状態が異なるため、カラーバランスが崩れる問題がある。短いほうは通常のカメラの、数千分の1秒程度では顕在化しないため通常は気にされることはない。一方長い方は、夜間や天体の撮影で問題になる。
フィルムの場合、冷却することで長時間露光時の相反則不軌を低減できることが、経験的に知られている。相反則不軌は天体写真を撮る時などに大きな問題となる。1977年頃には長時間露光時の相反則不軌対策や分光感度を調整した天体撮影用のスペクトロスコピック感光材料が市販されていたほどである。
そうして、長時間露光においては相反則不軌とはまた別の問題もある。現在利用可能なオプトロニクスによるデジタルカメラでは、画像に熱雑音と製作不良から発生するランダムノイズが乗る。
現在、一部のデジタルカメラでは長時間露出する際のノイズを軽減する機能が付いている。非常に長い時間露光する場合、ノイズが最終的な画像に影響しないように撮像素子を低温で動作させる必要がある。
だから、天文撮影や科学機器では冷却機構が最初から設計に含まれているものもある。

本来、写真といえば真実を写すものという捉え方が多い。そうですが、カメラは撮影したものを的確に写すことができる機械ではありますが真実とは言えません。
そこは限界もあります。なぜなら、どのような高性能なカメラも私たちの眼には勝てないからです。
言ってみれば、明度差が激しい室内から撮影する室外の窓や、逆光の太陽をフレーミングに入れて撮影する状況では、肉眼とカメラでは映せる世界が異なります。残念ながら、私たちの眼はそれだけ高性能なのです。

たとえ、スナップや風景写真であっても、伝える力を磨くためには色味の調整などが必要になる場合もあるでしょう。そして、主観的に現像や加工合成をしているから良い悪いということではないのです。芸術写真とは、一般的に、記録、証明等のためではなく芸術作品として撮影された写真のことである。
そんな中、日本の写真史においては、1900年頃から1930年代にかけてを中心とする、絵画的な写真表現を意味することが多い。
そして、現代アートとは、大変説明が難しい美術ジャンルである。現代美術、コンテンポラリーアートとも。現代アート定義するのは難しく、「現代アートとは何であるか」と問うよりも、「伝統的・古典的なアートではないアート」という裏返しの定義のほうがイメージがしやすいかもしれない。世界に名だたるカメラメーカーのほとんどが日本にあるのに、世界で活躍できるフォトグラファーは未だ少ない。
日本にアートフォトとしてのマーケットも極端に少ない。これは国民性なのか、そもそも需要が無いのか、それとも写真家のレベルが低いのかは定かではない。そして更に付け加えれば、写真を扱うギャラリー自体も少ない。これは写真をこよなく愛するギャラリストとしては、実に淋しい日本のアートフォトの現状だ。一体どのような写真こそ素晴らしいものなのでしょうか。その確かな答えはなかなか見つかることがないと考えます。なぜなら、写真の価値を判断する材料は山ほどあるからです。時間軸を過去・現在・未来に置くかだけでも大きく評価は変わってきます。公募展やコンテストなどでも、選者によって一枚の作品の価値は変わってくるものです。
結論的に、評価は暫定的なものです。記録写真だから優れている表現としての写真だから優れていないということはありません。例えどのような評価でも、私たち写真家は自信を持って撮り続けることが大切なのです。それが写真家らしい時間の進め方です。